学歴エリートによる階層化よりも運動能力による格差が大きい件
小学校から高校まで、日本の子供は運動能力によって階層化される事が非常に大きいです。これは改めていうまでもないでしょう。
ちょっと、手抜きの記事ですが、書いておきます。
この傾向は、高校が終わったら、教養志向のエリートが覇権を握るかと言われればそうでもないです。やはり、長時間労働をするだけの持久力や、指揮系統をはっきりさせるだけの運動能力的威信の方が大きく関わってきます。運動能力は異性獲得とも関係してきますし、学力だけが、全てを決めるという考え方に私は疑問を呈します。
■日本のトップ層を占める体育会系
歴史的には明治期にスポーツが輸入された頃、
最も盛んに行われていたのは武士などの士族階級です。
また軍部においても身体の鍛錬が重要視されました。(当たり前ですが)
日本の支配階級ではスポーツ文化こそが文化的資本なのです。
文化的資本とはフランスの社会学者ピエール・ブルデューが、親から子へと受け継がれるものは財産的な資産だけではなく、文化的な資産も受け継がれ、それが再び子においても引き継がれ
永続的に格差が進展していくという概念です。
■体育会系が怖くては指揮系統が発揮できない
日本のベンチャー企業や企業の上層部の多くは、マイルドヤンキーと言われるような、やや覇気の強い人がほとんどです。もちろん体育会系だけで勉強をやらずに学校を不登校してしまう人もいるかもしれませんが、それは例外的です。
学校内文化としてスクール・カーストと呼ばれるように、メジャー系のスポーツ部(サッカー部や野球部など)にいるような身体的に発達した学生の方がスクールライフを充実させる事ができる可能性は極めて高いです。
頭脳系だけでは、社会に出てからもその力を発揮することは困難です。
なぜならば、人脈などは、体育会系的な勢いで形成される事が数多くあるからです。
肉体的な威信がなければ、指揮系統が発揮できないこともあります。
ナヨナヨした人は、なかなか活躍しにくいのが現実です。
■最近変わりつつあるのはIT化がニューエリートになりつつあるから
シリコンバレーなどの先進的なIT企業が、新しい発明をすることによって、世の中はだいぶIT化されるようになりました。
その中で、従来の体育会系的な人だけでなく、ネット文化に詳しい人も文化的資本を形成しつつあります。しかし、依然、身体能力というのは非常に大事なので、ただネット文化に詳しいというだけでは、単なるオタクになってしまう恐れがあります。もちろん女性の社会進出などコミュニケーション能力が高い事が有利な時代になりつつありますが、ネットとゲームだけでは社会を生きるには難しいのが現実です。
大学進学率に運動部の在籍があった事が有利に働いたという統計的事実もあるようです。